ほねぐみ

本、映画、ゲームの感想など徒然

【黒い家】職業バイアスと専門性

「いかに文字だけで怖さを演出するか」の参考にしたくて読み始めました。が、最初の動機なんてそっちのけでのめりこんでしまった。怖かったしおもしろかったです。「心霊現象的な怖さ」というより、人間の怖さが際立つ作品でした。

夢中になって読み進めた反面、気になる部分もちらほら。主人公よりサバイバル力高そうな人がお亡くなりになったり、犯人の余罪ありすぎるのに警察にスルーされていたり。初動段階で目を付けられていないの絶対おかしい。
ただどちらも、ホラーとしての「怖さ」に貢献しているんですよね。特にサバイバル力高すぎさんが亡くなったときは「この人が死ぬならもう誰も生き残れない」と思って絶望しました。

そして金石さん。何をおいても金石さん。同じ心理学を学ぶ徒として恥ずかしい! と思いながら読み進めました。病名についてレクチャされていた部分は、恥ずかしすぎて読み飛ばしてしまった……そうそう、心理学者ってこういうイメージだよね、と共感できてしまうところがまた忸怩たる思いにさせられます。
心理学を学ぶ人、特にその専門家を目指す人は、大小あれど瑕を持つ人たちだと感じます。もちろん例外もいるでしょうけれど。さらに言えば瑕のない人なんていない。ただ自覚の範囲と瑕の深さ、あと内向性や瑕への探求心、好奇心の程度が、心理士となるかどうかを分ける気がします。
金石さんは学者なので、心理士とはまた違うかも。ただ彼にも心理学を学ばせただけの苦悩やヒストリーがきっとあったわけで、その結果が拷問死と思うとやりきれない……同業者なだけに、自業自得とは思いきれません。亡くなったときは「なにもここまでしなくたって……!」と思ってしまいました。

「専門家だから」触れてしまえること、気づけてしまうことと、どう折り合いをつけたらいいのかなとときどき考えます。これは「力量がある」こととはまた違くて、たとえば舌が肥えているから料理の良し悪しがわかってしまう、ことではない。ただ「自分はコックだから」という理由だけで、他人が作った料理に口出ししてもよいと感じてしまう。そういう暴力性というか、権力を持ちえて酔いしれてしまえることが専門家にはあると思います。
「余計なお世話」と「職業人として適切なふるまい」の差はどこか。あと免許や資格を持っていたり、社会的地位が高かったりすると「何か言わざるをえない」こともありそうです。
自分も友達から「兄弟にひきこもりが~」とか「家族に精神疾患が~」とか言われると、余計なことを言いたくなるので金石さんの気持ちはわかる。わかるので、金石さんのふるまいが見ていて痛々しい(非常識という意味で)。と同時に、身から出た錆とはいえ気の毒すぎる。
なんてことを、氏を見ていて感じました。

最後に、恵さんが言っていた「生まれついての犯罪者はいない」説について。きっとすでに100万回は議論されているはず。それなのにいまだ決着がついていないなんて、罪深いテーマです。
自分は「いてもおかしくない」と感じています。「犯罪」という言葉がすでに社会的というか人間的な重みを持っているので「人間になりきれない」人はごく普通にいると思う。いてもおかしくはない。ただなんとなく、そういう性質の人は学校を卒業したあたりで立ち行かなくなる気もします。気質が露呈しやすくなるというか。
自分の気質に自覚なく、内省する力が弱い人ほどうまく立ち回れなくなっていって、極端な行動しかとれなくなるのでは。その成れの果てが菰田夫妻かなと思います。

映画版だと菰田夫妻役、大竹しのぶさんと西村雅彦さんなんですね。絶対怖いやつやん……と思いました。直視できる気がしません。