ほねぐみ

本、映画、ゲームの感想など徒然

【64-ロクヨン-前編】警察内外で描かれる人々の共鳴、衝突、葛藤の物語

昭和64年1月、昭和天皇崩御とともに少女の誘拐・殺害事件が発生。身代金を奪われ迷宮入りとなったこの事件は「ロクヨン」と呼ばれるようになった。そして1年後に時効が迫った平成14年12月、警視庁長官の視察をきっかけに再び事態は動き始める。


ロクヨン」と言われると某ゲーム機を真っ先に思い浮かべる世代です。変わったなタイトルだなーと思ったのと、一方でかなり豪華な俳優陣に興味がわき観てみることに。

かなり揺さぶられる作品でした。時効目前の誘拐殺人事件を洗いなおす話かと思いきや、いわゆる「刑事ドラマ」とは一線を画した内容です。
物語の始まりは昭和64年に起きた少女誘拐事件。ただし主軸は平成14年(現在)で、当時は捜査一課にいた主人公は今や一線を退き広報室担当。誘拐事件の時効が迫る中「捜査員激励のため警視庁長官が視察」というミッションをこなすため、14年ぶりに主人公は被害者宅を訪れます。
娘を亡くし今も悲しみにくれる遺族とシンクロする主人公の境遇、少しずつ明かされる捜査員たちの秘密。そして同時に交通事故・加害者の実名報道について対立する広報室と記者クラブ

とにかく登場人物が多く、みんなそれぞれスタンスと立ち位置があってときに激しくぶつかります。それをものの見事に役者さんが演じるものだから見ごたえがある。一見モブといえる記者クラブの面々も個性派ぞろいで「こういう人いるいるー!」と思いながら見てました。

また、いろんな人がいるってことは、わかりあえることもあれば敵対することもあるわけで。
県警の現・お偉方には「人の心ないんか?」としか。特に椎名桔平さんと滝藤賢一さんには胡散臭さと小狡さしか感じません。一緒に仕事するには向かないタイプ。
ただこういう人でも、家に帰ればいい子ども、あるいはいい夫でありいい父親かもしれません。そう考えるとなんとも言い難い気持ちに。

ありきたりな表現ですが、かなり重厚な人間ドラマでした。錯綜する思いに深く考えさせられます。
ただ驚きなのは、これがまだ前編ということ。後編があるんだぜ信じられない……。
いったい後編はどうなるのか、誘拐犯は捕まるのか?前篇を踏まえると、後編は誘拐事件に焦点を当てつつ「どこまで相手に寄りそうか、相手の立場を考えるのか」という話なのかなーなんて想像をしています。

そして最後に「昭和天皇崩御と重なって誘拐事件がほとんど報道されなかった」件について。
大きな事件や災害が起こるたび「この時期に大事な人を亡くした人は、置いていかれたような気持ちになるだろうな」と思っています。最近でいうと安倍元首相の銃撃事件。あの事件の前後に近親者を亡くした人にとっては、自分の気持ちと周りの人たちとの間にズレを感じるでしょう。
たとえ報道されるような亡くなり方ではないにしても、自分が誰かを悼んでいるときに友人や同僚、ニュース、SNSなどでまったく別の人に哀悼を捧げていたら取り残されたみたいな気持ちになると思う。
だから日本のほぼ全国民が「天皇崩御」に関心を向ける中、「愛娘の死」をひっそり抱えざるを得なかった雨宮一家がやりきれません。

この「ひっそりと葬られようとしている事件」という括りで、少女誘拐事件と平成14年の交通事故が重なります。
こんな感じで個々の心情や出来事が重なったり、背中合わせになったりするのがとても興味深い。後編も早く観たいものの、気力を大きく消耗するのでチャージしてから観ようと思います。