【タコピーの原罪】対人援助職者は読んだ方がいい
すごい漫画を読んだ。
「タコピーの原罪」
まず登場人物の描き方。
物語はタコピー視点で進んでいく。だからもう一人の登場人物・しずかちゃんが何を思い、考えているのかよくわからない。彼女は自分の心情をなかなか言葉にしない。
ただ、私たち地球人が「あたりまえ」としている前提があるため、彼女の心境を想像することはできる。
彼女が言葉にしないから、話さないからこそ、彼女の心情を察するに余りある。少し脱線するけれど、よく毎日学校に行くなぁと思うし、小4にしてはハードモードすぎやしないかとも思う。
そしてタコピーは宇宙人なので、我々が当たり前としていることがタコピーには通じない。なので見ればわかること・察せられることが、タコピーにはまったく伝わらない。
宇宙人だから仕方ないのだけれど、推測がナナメウエをいきすぎていて若干イライラしてくる。
ひょっとして、苦しい状況にある人には周りの人間がこんな風に見えているのかもしれないと思った。
苦しい自分の周りには「助けるから!」といっていろんな人たちがわらわら寄ってくる。そしてみんなさかんに「ああしろ」「こうしろ」というけれど、どれも的外れ。なんでみんなわかんないの、見ればわかるでしょ、と落胆。期待はどんどん絶望に変わっていく。
タコピーはそのへんできた人(?)なので、一生懸命しずかちゃんを理解しようとする。
ただ「よかれ」と思ってやったことが、同じように相手も思うかはわからない。
訊けばいいのかもしれないけれど、そもそも相手だって「自分がどうしたいか」「どうしてほしいか」を正確に察知して言葉にすることができるとは限らない。自分が「何を望んでいるか」をつかむのって、けっこう難しいことだと思うので。
「相手を助ける」って、何をもってして言うのか。どういうことを指すのか。考えはじめると答えがなかなか出ない問いだなぁと思う。
タコピーの空回り具合は「誰かのために」を掲げる人すべてがなりやすい姿なんじゃないかなぁと思った。
対人援助職、つまりお医者さん、看護師さん、介護士さん、学校の先生、カウンセラーなどなど。自分も対人援助職者の一人として、とても身につまされる。
このことは映画「ギルティ」でも感じた。
話を「タコピーの原罪」に戻しまして。
今後の話の展開として、思うことがいくつかあるので箇条書き。
- タコピーに助けられるうち、しずかちゃんはタコピー(の持つハッピー道具)なしにいられなくなる。つまりタコピーに依存的になっていく。
- しずかちゃんに感情移入するあまり、タコピーは彼女を害するものを憎むようになる(ハッピーとは真逆の感情を理解する)
- しずかちゃんの笑顔が増えるにつれ、タコピーはふと「あれ、ぼく何もしてなくね?」「ぼくじゃなくて、全部道具のおかげじゃね?」とハッとする。
「人をすくうことの難しさ」と「実は特別なことは何もいらない」ことが示唆されていくのかなぁと妄想。
ハッピー道具がなくて、タコピーにはできることがあるかもしれない。そしてそれこそがしずかちゃんに力を与えるのかもしれない。
そしてしずかちゃんは、ただ受け身の「救われる」ではなく自分で現状を変えていく(きっかけとなる)力を持つのかもしれない、と。
なんとなく、力強く笑うしずかちゃんがラストに見られるんじゃないかなーという気がしつつ。
ただ彼女が置かれている状況を思うと、個人の力でどうにかならないとも思う。どうにかできないし、「どうにかなる」ことを描いてはいけないんじゃないかなーと。たとえ漫画とはいえ。いや漫画(フィクション)だからこそ。
タイトル「タコピーの原罪」の意味も気になる。
第一話で、タコピーが無知で無邪気だったことを指している気もするけれど、これから先にもっと大きな罪を犯すのかな。でもそれだと「原罪」ではない気がする…。