ほねぐみ

本、映画、ゲームの感想など徒然

【宝石の国】虚無と美しさ

ずっと気になっていた漫画。連載再開を祝した無料公開で、11巻分(88話)まで読みました。

宝石の国 - 市川春子 / 第一話 フォスフォフィライト | コミックDAYS


2周しましたが何が起こっているのかいまいちよくわからない
そもそもストーリーがほんのりミステリ仕立て。主人公たる宝石たちがどういった境遇におかれているのか、月人とは何か、なぜ戦っているのかなど謎が満載。少しずつそれらが解き明かされていきます。
それに加えて作中ではいろんなことが起こるものの、数々の出来事が「?」となる。何が起こっているのかはわかるのですが、なぜか首をかしげてしまいます。たぶんあっさり目のタッチと縦にも奥にも広がる風景が理由だと思います。外も内も広大すぎて、あった出来事やキャラクターたちの心情が絶妙に霞んでしまう。だからか、みんなけっこうしんどい・ひどい目に遭うのにあまり気の毒になりません。

気の毒ではないけれど、どの出来事も仕組まれたことっぽいのが癪に障ります。「偶然による自然発生的な出来事」だったらまだ諦めもつくものの、それが人為的なものとわかると腹が立つ。
暴言・暴力もそうですけど、人から人へのネガティブな反応ってどうしてこう許しがたいものがあるのだろう。人のこといいように使って搾取してんじゃねぇという気持ちになります。そこだけが許しがたい。
物語は一見、主人公・フォスフォフィライトが苦労するにつれて周りの人たちの幸せになっていっている。そんなふうに見えるものの、はたして本当にそうなのか。なんとなく本質はまるで変っていないように思えます。
第1話と第88話では宝石たちの置かれた環境が様変わりしていて、彼らの考え方や嗜好性、ふるまいが変わっているように見えます。ただ実は「誰のためにあるか」が変わっただけで、宝石たちの「誰かのために力をふるう」「他者の期待に応える」性質は変わらないんじゃないかなぁなんて。特にカンゴーム。王子が言っていた瞳の話は本当なのか、若干疑ってます。でもあれが嘘だったらちょう怖いな。

この先のことでうっすら想像しているのは、フォスは神様(菩薩?)になるんじゃないかなということ。
はるかむかーしに如来と菩薩(だったかな?)の違いを聞いた気がします。如来は「自分が救われればOK」で、菩薩は「地上の人を一人残らず救って、最後に自分が救われる」だったような……かなりうろ覚えですが。
フォスもきっと菩薩のように「誰かを救う人」になるはず。ただその救う相手は宝石たちでも月人でもなくぜんぜん別の新しい生物で、みんなガッカリ……という展開を妄想してました。
しゃべる流氷が気になっています。彼らは人に近い生物になるポテンシャルを秘めているのではないか、と。流氷+宝石のなりそこない+アドミラピリスで生命が誕生したり……しないかなぁ。
それで博物誌を編まないか。第1話ラストでフォスが「僕の味方は おまえだけだよ」とバインダーに語りかけたことが、すべてを象徴している気がしてなりません。自分の味方は自分の見たものたち。自分ひとりで観察し綴ったものが壮大な世界を描いていくという、個人→←世界の循環を想像しました。

連載再開とはいえ、あともう少しで終わりそうな予感。光・風・海、みたいな開けたイメージを持っているからか、どんな終わりだろうと「穏やかさ」と「美しさ」、あと「わずかなしんみりさ」が混じる気がする。
どうなるにせよ、間を空けすぎて忘れてしまわないよう、定期的に読んでいきたいです。