ほねぐみ

本、映画、ゲームの感想など徒然

隣人の喧嘩から考えたこと

映画や本やゲームに思いを馳せつつ、最近最大の関心事はお隣さんのことです。

隣家は男女のカップル? 夫婦? のようで、喧嘩してる……というか女性がわんわん泣きながら抗議する声と宥める男性の声がときどき聞こえてきます。
それが先日、夜中に男女の怒鳴り声+バンバン物を叩く音が聞こえてきて、すわDVかと緊張が走りました。
何かあってからでは遅いと、すぐ110番できるようスマホ片手に突撃しようとしたら、同居人(DV経験者)から「女の人が言い返してるから、その元気あるうちは大丈夫。もう少し様子を見よう」と引き留められ。そんな判断の仕方!? とちょっとおもしろかったです。
けっきょく翌日、普通に仲睦まじげに話している声がしたので二人とも無事だし今も一緒に住んでいるのでしょう。
物を叩く音は、相手を叩いてしまわないよう怒りを発散させてたのだと想像。男性が話すときに聞こえてきたから男性の所業だろうな。ただ実際に手を上げないにしても、目の前で男がバシバシ物を叩きながら怒鳴ってたらそれだけでかなり怖いと思うんだけど。どうなんだろう。

なんとなく改めて怒りと暴力について考えてみました。
ここで問題にしたいのは我慢できないほどの怒りとその表出行動で、親が子を叱ったり理不尽に抗ったりするための怒りの表明とは別とします。
ときどきお店で店員さんをガ―っと怒鳴る人を見かけますし、仕事でも沸点の低い人と相対することはあります。クレーマー気質の人はきっと自分が「怒っている」ことがよくわかっていないのだと思う。内省する力が弱い、もしくはその余裕がなくなっている人が怒りゆえの行動をとりやすい気がする。あと「感情のまま行動してみたら自分の思い通りになった」体験をした人も。
価値観の異なる他者と共生する以上、思い通りにならないことというのはままあります。そんな中でみんなそれぞれ工夫して生きているわけで、それを「怒鳴る」「物に当たる」「無視する」「嫌がらせする」といった方法のみで乗り切ろうとするのはいかがなものかと。言葉を選らばず表現するなら「馬鹿の一つ覚え」でしょうか。
そも、生まれたことがすでに自分の意思とはかけ離れたこと(たぶん)なんだから、思い通りになるはずありません。恨むなら生まれたことを恨めと。ああだから赤ちゃんはよくギャン泣きしてるのかと書きながら思いつきました。生とこの世への理不尽さに泣いているのかもしれません。
怒りの感情をもつこと自体は仕方ないにしても、それを行動に示すのは本当にいけないことだと思う。自分にとっても相手にとっても。公衆の面前で糞尿垂れ流しにするくらい恥ずかしいことだと感じます。大人であり人間ならわきまえた方がいい。

大抵の人は、そんな行動をとらせた人物や出来事からは距離を置こうとするはず。
だからお隣さんもお互いに離れた方がいいのでは。もちろん隣家で何があったのかはわかりませんし、もし事情を知ったら「それは怒るのも無理ない」と思うかも。ただ現時点では、物に当たるほど怒ってしまう相手とは離れた方がいいし、一緒にいない方がお互い幸せではと、そう思えてなりません。
もし自分がお隣さんの立場におかれたら、怒って何かする前にまず泣くと思います。同居人(パートナー)にキレ散らかしたときも同様で、情けない話ですがきっと泣いてまう。そんなに怒らないでくれと。
僕は喜怒哀楽なんでもそうで、一定量を越えると言葉に詰まって涙が出るタイプです。たぶん言語能力の低さゆえなので、怒って喚き散らすのと同じくらい恥ずかしいことと思ってます。
お隣さんはどうだろう。恥ずかしいと思って距離を置くのか、ますますエスカレートするのか。あれから平穏が続いているっぽいので前者かもしれません。