ほねぐみ

本、映画、ゲームの感想など徒然

【金田一少年の事件簿】殺意とのつき合い方

堂本剛さん主演のドラマ版から入りました。なので、原作ではじめちゃんが長髪なのに最初びっくりしたのもいい思い出。
コミックスは、20代のとき何を思ったか突如全巻購入。一番好きなのは異人館村です。何回読んでもラストで泣いてしまう。

最近の原作は、絵柄も内容も少しライトな印象ですね。とっつきやすい一方、初期の頃の「怪人」「伝承」といった設定と、犯人たちの動機が重厚で味わい深いです。犯人側の動機に、思わず共感してしまうものも多々ありました。特に印象的なのが墓場島と飛騨からくり屋敷です。

 

金田一少年に出てくる犯人たち、特に復讐を動機とする人たちは、突発的な犯行というよりも「何年もかけて入念な準備」「それくらい深い恨みつらみ」といった印象があります。
不思議なのは「なぜ殺意が風化しなかったのか」ということ。あと「なぜ隠れて行うのか」も。

 

誰かを憎い、殺してやると思ったとして、すぐ実行に移さず、時間をかけて入念に準備する。そのモチベーションはいったいどこからくるのか。またどのように保つのか。それに殺人を「想像する」ことと「実行する」ことには大きなギャップがあるでしょう。いざ仇を目の前にしたとき、躊躇うことはないのか。
とてつもなく強い憎しみで、上記の問題をすべてクリアしたというのであれば、逆に本人を目の前にしたときに、その殺意が漏れ出てしまうんじゃないかなとも思います。隠し通せるような熱量ではない気がする。それとも、殺す段階ともなると「計画したことを淡々とやるだけ」なのでしょうか。消化試合的な。

実行に移すほどの殺意を誰かに抱いたことがないので、犯人たちがいったいどんな心情だったのかが想像できません。計画を練っている間、そして実行に移す瞬間、いったい何を思っていたのか。気になります。

 

そしてもう一つ不思議なのが「なぜ隠れて行うのか」ということ。隠れてなかったら物語が成り立たない……という大前提はさておき。

殺人の動機が復讐なら、どうしてもっと堂々と行わないのか不思議。「復讐するは我にあり」と思っているなら、公開処刑してもいいのでは。それでもし捕まったら、自分の正当性を訴えればいい。現代国家で認められることはまずありませんが、「自分で自分を悪いと思う」ことと「社会の一員として罰を受ける」ことは別だと思うので。
「あいつを屠るのは正しいこと」と思っているなら隠れてなんてやりませんし、正しいと思っているからこそ屠るのでは? 少なくとも自分だったらそうします(という話を人にしたら、サイコパスと言われました。解せぬ)

 

犯人たちが隠れて行うのは、自分の復讐を悪いことと思っているからではないでしょうか。あいつが憎いし、殺されて当然と思っていても、自分の殺人も同時に悪いことと思っている。「この感情は正しいけれど、ひどい行いだし正しくない」とか、そんな複雑な感情を抱えながら生きていかざるを得ないのはすごいなと。想像を超えてます。

 

「人を殺すのは悪いこと」という当たり前のことをごく自然に思える犯人たちは、本当なら誰かを憎まず生きていけたはず。そんな人たちの心を大きくかき乱すなんて、被害者相当すごいのでは。そう思い至りました。