【聖伝】恋愛観を形作った作品
初めて読んだときはまだ小学校低学年。
タイトルのとおり、自分の恋愛観……恋愛観? を形作った作品だと感じています。
張ってるリンクが1巻でないのはご勘弁を。この表紙が好きすぎて、いつまででも眺めてしまう……。
初めて読んだとき、幼いながらに乾闥婆王と蘇摩、そして帝釈天と阿修羅王(父)に衝撃を受けました。あと孔雀→阿修羅も。
恋愛漫画で描かれている恋模様とは、一般的にドキドキ・キラキラ・ふわふわという、少しくすぐったいような、あたたかいようなイメージ(推定)があります。
ただこの作品を読んだことで、一般的なふわふわ・キラキラしたものだけでなく「性別・性愛を超えて、ただ全力で相手という『存在』へ向かう何らかのベクトル」もあるのだと知りました。いったいどんなベクトルなのかはわかりません。
一番近いのは「執着」な気がしますが、でも執着とも違うんだ…! じゃあいったいなんなんだ……! と、ずっと正体不明のままもがいています。
「執着」って執着のことで、「恋愛」とは違うので……でも「とびっきりの執着」としか言い表しようがないこのくそデカイ感情のベクトルを、他になんと呼べばいいのか。いまだにわからずにいます。
さらに言うと、この二組の間でなされる感情の行き来は「恋愛」とはまた少し違うものではないか。彼らのありようを「恋愛」と呼ぶのは、「恋愛」という単語に失礼ではないか。そんなふうにも思えてなりません。
熱量的には、あたり一帯を一瞬で焦土と化せるようなエネルギーを両組ともに感じますが。それだけ、お互いがお互いに向けるベクトルが重たい。
自分も彼らと同じくらい誰かを強く想いたい…! とは思いませんが、これだけ一途になれるのは少しだけ羨ましいです。
初めて読んでいたころは、帝釈天がえらい酷い人だなぁと思ってました。
でも大人になってからもう一度読むと、誰よりも阿修羅王(父)がひどく見える。
相手が自分を好きだとわかってて、自分の望みのためにすんごい利用してくるし。しかもお願い内容のハードルがけっこう高いし。
あまつさえ、好きかどうかも(たぶん)わからない相手に自分のすべてを明け渡すって、この人ほんとやべぇなと思いました。
鬼畜…と思いましたが、帝釈天はきっとそんな王がよかったんでしょうね。
王があらぬ方向を見ていることも、同じくらいの熱量を自分に向けてくれないこともわかっていて、でも最後にできるかぎりの誠意でもって王が応えてくれた(のか?)ことは、帝釈天が生きていくための支えになったんじゃないかなぁ。
いったい王のどこがそんなによかったんだろう…とは、ちょっとだけ思ってしまいますが。
自分がいったいなぜ、相手をそんなに好きなのか、感情を向けてしまうのかは、なかなか説明できないと思います。言葉にできるくらいだったら、たぶんこんなにデカイ感情向けてないはず。
作中では、乾闥婆王が一番好きです。ただ彼女が言う「蘇摩のことは好きだけど……」の「けど」以降は意味わからんなとずっと思ってます。
好きなら! 一緒にいられる道を!! 探したらいかがか!!!
まあでも、あの世界の人たちたぶん戦闘民族なので、好きな相手と敵対するのも乙なものなんでしょう。「大好きだけど、そんなあなたを斃すのはこの私」みたいな点にも、きっと喜びを見出せるのでは。
ちょっと理解できない感覚ですが「自分は相手にとって特別な存在でいたい」という気持ちは、わかる気がします。
たぶん乾闥婆王と蘇摩、帝釈天と阿修羅王(父)がお互いにどう思っていたかという想像だけで、あと2,000字くらい書けます。小論文か。